ミッシェル・エルブラン

時計の歴史から紐解くミッシェル・エルブランの魅力<第2回>

今回のMH JOURNALは、前回の続きとなります。「時計の歴史から紐解くミッシェル・エルブランの魅力<第2回>」として、時計ジャーナリストの篠田 哲生氏に寄稿していただきましたのでぜひお読みください。

ジュラという地域性が育んだ奇跡の時計ブランド
文:篠田 哲生

スイス国境に近いフランスの小さな街シャルクモンにて生まれた「ミッシェル・エルブラン」。その実力は、地政学的な観点から解き明かすとよく分かる。時計ブランド「ミッシェル・エルブラン」の始まりは1947年。創業者であるミッシェル・エルブランは時計会社の勤務を経て独立した。地理的位置から考えると、スイス時計メーカーの関連企業に勤めていたのだろうか?しかし、シャルクモンという街の立地が、ビジネスの基盤となったことは間違いないだろう。

というのも、全てを自社で製造するマニュファクチュールブランドを除けば、ほとんどの時計ブランドは、サプライヤーと呼ばれるパーツ専門の会社から部品を購入し、自社で組み立てることで製品としている。こういった業態をエタブリスールと呼ぶが、高い品質を維持しつつコストを軽減できるのでメリットは大きい。スイスではこのシステムが強固に出来上がっており、それがスイス時計の競争力の源になっている。
ミッシェル・エルブラン本社工房
シャルクモンはフランスの街だが、スイス時計産業の中心地ラ・ショー・ド・フォンに近い。ここには多くの優秀なサプライヤーが集まっているので、優れたパーツを手に入れやすい環境にある。これはドイツ時計産業の中心地グラスヒュッテが、スイスから遠すぎてパーツが購入できず、内製化を進めるしかなかった状況とは正反対だ。しかも第一回で説明した通り、ユグノーの入植によって伝統的に時計産業などの手工業が強いエリアでもある。こういった地理的要因がプラスとなり、ミッシェル・エルブランの時計工房は大いに発展する。

1968年には、創業者の名を冠した自社ブランドをスタート。スイスブランドが多い時計業界だからこそ、文化大国であり、かつての時計大国であった“フレンチブランド”という個性が逆に活きた。しかも伝統と格式を重んじるがゆえに、自縄自縛に陥りがちなスイス時計業界とは異なり、商品開発に対しても柔軟な対応が可能になる。1970年代のクオーツショックの波も、巧みにくぐり抜けて、現代へとブランドは受け継がれている。
1枚のスケッチから始まる時計づくり
つまりはミッシェル・エルブランの個性は、ジュラという地が育んだといっていいだろう。ユグノーがもたらしたフランスの優れた時計文化を継承しつつ、近隣であるスイスの最新時計技術を取り入れ、優秀なサプライヤーの恩恵も受ける。しかも文化大国であるフランスのデザインスタイルもしっかり取り入れることができる。また“世界で最も人件費の高い”スイスに比べると、低コストで時計を作ることができるので、スイス時計と同価格帯であれば圧倒的に質が良くなるというのも大きなメリットだ。つまりミッシェル・エルブランとは、何から何まで“良いところ取り”のハイブリッドな時計ということになる。フランスとスイスに跨るジュラというエリアだからこそ生まれた、奇跡のような存在なのだ。
篠田 哲生 氏
1975年千葉県出身。時計ジャーナリスト。時計専門誌からファッション誌、経済誌やウェブサイト、広告などあらゆる媒体で時計記事を担当。毎年数回の海外取材を行い、工房取材の経験も豊富。時計学校を修了した実践派である。
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